寺子屋 大仙寺の日々是好日

三重県伊賀にあるお寺。大仙寺の寺子屋ブログです。探究型の寺子屋です。HP → https://www.iga-daisenji.org/

お寺で遊ぼうvol.3 〜おてらにねむる おたからを さがそう〜

お寺で遊ぼう第三回目をやりました。今回は、娘の園のお友達家族2組が参加してくれました。うちの娘は楽しみすぎて、寝れないと昨夜は遅くまで起きていました。

 

まずは、いつものように対話型の読み聞かせから。ツペラツペラさんのこれ。帽子を取ったらツルピカのとこってだいたい、予想が当たります。

ぼうし とったら (PETIT POOKA) 0~3歳児向け 絵本

ぼうし とったら (PETIT POOKA) 0~3歳児向け 絵本

  • 作者:tupera tupera
  • 発売日: 2012/07/03
  • メディア: 単行本
 

 次を予想しながら絵本を読むと、ぐっと絵本の世界が近づいてきます。本を読むときのベースになる力を育てていくには、とても良いなぁといつも思います。

 

その後は、境内で宝探しです。みんなで30個を探すというルールです。見つかったら遊びのチケットがもらえます。小さい子達なので、ゆるやかに協同して達成できることを考えてみました。最後の一個が見つかってホッとしている姿も楽しかったです。宝を探すって楽しい。今度は大人でもやってみたいなぁと思います。

 

それから、遊びのチケットをもらってヨーヨーすくいをしました。水が低くて取りにくかったです。朝、水めっちゃいれたのになぁ。あとで見てみると、栓が抜けていましたwww取るのは、なかなか難しかったけど、みんなすぐにうまくなりました。このヨーヨーはご近所さんにもらいました。

 

最後は、おうちの中を探検しました。子ども達はリカちゃんとかで自由に遊んでいました。お母さん達はお母さん達で楽しくお喋り。いい時間です。妻も楽しそうで何よりです。自由遊びの子ども達を見ていると、いろんな発見があります。「こっちの靴の方が可愛いよ。」遊びを通して、子どもがつながるっていいなぁ。こうやって、没頭して遊べるって、子どもってほんとすごい。うちの娘も、一緒に遊んでくれる友達がいるからこそ、成長しているんだなぁと感じる時間でした。みんな大切な存在です。

 

月一回のお寺で遊ぼうですが、人と人がつながる場所があることは、自分たちも元気をもらえます。参加してくださった方、ありがとうございました。次回は、1/17(日)です。

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生きることが楽しいにつながることを目指す。

子どもが生き生きすると、それを見ている親も嬉しくなります。ボクも同じです。幼稚園が馴染めなかった娘が、友達の話を楽しそうにしているそれだけで、嬉しくなります。

 

「放課後、楽しみに行っている姿を見るのが嬉しい」という保護者からのメッセージは、ほんと嬉しかったです。

 

楽しい、好きというのは全ての基本です。だって、それは生きることが楽しいにつながるから。生きることが楽しいという経験があることは、ずっと人生を下支えしていくから。

 

いつか、寺子屋から子どもたちは卒業していくでしょう。その時に、何か楽しい記憶や学びの記憶が残ること。そんなことがあれば、幸せだなと思います。

肝試しプロジェクト終了

月曜チームも金曜チームも、肝試しをしました。18時というと、あたりは真っ暗です。お墓も真っ暗です。お化け役の子どもも、怖がってしまうという結果でした。

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「めっちゃ怖いから、一緒にいよよー。」素直に気持ちを言葉にする子がいます。

 

怖いから一人でいられなくなります。自然と、人との関わりが生まれます。一緒に支え合ったという共通体験が生まれます。楽しいことや、挑戦したいことって、つい分かち合いたくなるんですよね。こうやって、人と人の関係は深まっていく。そう感じるのです。当日までできるか不安だった子も、一緒にする仲間に支えられ、楽しんでいる姿もステキでした。

 

お客さんで来てくださった保護者の方が、こんなメッセージを送ってくれました。

 

「子ども達がやさしくて、とてもいい雰囲気でした。」

 

優しい雰囲気は、子ども達、みんなが作ってきたものだと思います。「仲良くしようねと」と言わなくても、いつの間にか一緒に遊んでいます。遊びの中で、喧嘩が起きることもあります。でも、その姿を見た4年生の男の子が、さっと場を和ませて、気持ちを切り替えようとする姿もありました。

 

子ども達は、自分たちが過ごしやすい環境を作っていく力がある。そんなことを感じました。子どもが自分らしく生き生きできていると、子どもの良さが発揮できるのだと思います。「怖かったけど、楽しかったわー。今日はトイレ行くの怖いなぁ。」そんなことを言える子を見て、ほのぼのします。毎週、みんなと会うことが楽しみです。

大仙寺のイラストができました。

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まんぷく食堂の寺中有希さんに、うちのお寺のイラストを描いていただきました。

mampuku-shokudo.amebaownd.com

どんな自分であっても、大仙寺ではそのままでいれるような、そんな場所を目指しています。

寺子屋もそうですし、両親がしているお話会や、日頃のお寺を舞台にした人のつながり。それら全てが、命を輝かせてくれます。

 

そんな想いを込めて。

 

大事なことは見えにくい

寺子屋や学校で、子ども達と過ごしていると、その子の思いやペースを大事にしようと寄り添えます。でも、自分の子になると、途端に不安になります。

 

この前、運動会がありました。年中のうちの娘は、最初から最後まで、誰とも話さず、ダンスも全く動きませんでした。日頃から、幼稚園の話もあまりしませんし、行きたくないということも何度もありました。

 

その度に、不安になりました。このまま、馴染めなかったらどうしようとか。いろんなことを心配してしまいます。自分の子となると、途端に冷静にいられなくなるのです。

 

そんな中、妻は娘を丸ごと受け止めています。そんなもんやんかーって。踊らない娘を面白がっています。幼稚園の先生が、あまりお友達と話しませんと教えてくれても、そんなもんやんかーで終わります。ボクはそんな妻にイライラすることもありました。

 

でも、立ち止まってみると、娘を自分の枠に当てはめて考えていたのはボクだったのです。自分の枠に当てはまらない娘のことを、勝手に不安になっていました。そのままの、娘を受け取ろう。ようやくそう思えるようになってきました。

 

ついつい、ボクは心配からか、先回りしてしまったり、干渉しすぎたりしてしまいます。でも、それはボクの不安の表れだなと思いました。教師としての自分は、決してそんなことはしません。いつも、子どもを待とうとできるし、そういう教育のあり方を大事にしています。でも、親となると途端に難しい。

 

これからも、先回りしてしまったり、干渉しすぎたりしちゃうと思います。でも、このタイミングで大事なことに気づけた気がするのです。

 

ボクができることは少なくて、それは機嫌良くいることなんだと思います。

 

完璧な親にはなれないし、感情的にだってなるけど、そんな自分にも花丸しようと思います。一人じゃない、みんなで子どもをみていけばいい。そう思っているんです。ついつい、ボクたちは、子どもの目に見える行動に目が行きます。でも、そこに隠された子どもの思いこそ大事なんだということ。そんなことを、寺子屋や子育てを通して学ばさせていただいているなぁと思うのです。

 

学校の先生にもお願いです。どうか、子どもの行動だけでなく、その裏の思いを大事にしてあげてほしいのです。

子どもを信じること

子どもを信じること

  • 作者:田中 茂樹
  • 発売日: 2019/04/10
  • メディア: 単行本
 

 

「学校行きたくない」という気分になったとき という首藤先生の文章を読んで思ったこと。

寺子屋サポーターでもあり、尊敬する先輩でもある、千葉大学名誉教授 首藤久義先生のFBから以下抜粋です。

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「学校行きたくない」という気分になったとき

「休みたい」という心の声が自分の内部から聞こえてくるとき、無理して出かけるのがいいか、無理しないで休むのがいいか?
肉体の病気の場合は、無理して出かけて重症化したり、最悪の事態に陥ったりする危険をおかさないほうがいいと私は言える。
症状が軽いうちに、休養を十分とって対処し、病気が治ってから出かけるほうがよいと、私は言えるし、人にもそう言うと思う。
しかし、肉体ではなく気持ちが「休みたい」と訴えているとき、まずは休んで、気力の回復を待とうという決断ができるだろうか?
これはなかなか判断が難しい。
自分の場合は、「休みたい」ときにはすぐに休むという選択をすることができる。
しかし、同じ決断を、自分以外の人に求めることができるだろうか?
人により、場合により、家庭により、人間関係によって、この判断は、分かれるだろう。
こういう悩みの場合、万人に通じる正解は無いように思う。
本人や本人を守る立場にある人が、自分や自分たちで、いろいろ考えたり、書物やネットや生身の人に相談して情報を得ながら、自分が納得できる方法をいろいろやってみるしかないのではないだろうか。
やりながら、その時々の結果に応じて、より良い方向に方向転換しながら進んでいくしかないのではないか。
私が今言えることは、ここまででしかない。

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人間が行う営みに正解はない。子育てにしても教育にしても、正解はない。その子のためにと思ったことが裏目に出ることだってある。そんな自分を責めなくていい。

だって、子どもを思う気持ちは純粋なんだから。失敗したり、うまくいったり、そんなことを繰り返していく中で、だんだん分かってくることがある。

 

子どもと過ごすというのは、自分自身も成長するということ。いつの時も変えられるのは、相手ではなくて自分自身。

 

あるがままのあなたを受け取る。

 

そのことの安心は、大きな力になる。ボクができることなんて、限られている。

 

そのままのあなたに花丸を。そう思って今日も子どもと過ごそう。

子どもをみとるということ

子どもをみとる

 

教育の世界では、子どもを理解しようとすることを、「みとる」と言います。

 

「みとり」については、いろんな考えがありますし、手法もあります。ボクも全ての子どもについて毎日日記を書いたこともありますし、特定の子どもを追っかけて記録をとったこともあります。

 

寺子屋サポーターでもある、横浜国大の石田喜美先生と学会で発表したこともありました。

kimilab.hateblo.jp

 

でも、結局は、子どものことは分からないのです。わかった気になるのがほんとに怖い。それは、あの子はこういう子だって自分の中のモノサシで判断することだからです。

 

でも、分からなくてもなんとか理解しようとい営み、これこそが、教育にかかわるものの仕事です。

 

結局、記録をとるしかないのです。寺子屋でも毎回、子どもの記録をとります。それをみながら、次はこうしようとか、振り返るわけです。これが、評価なんですよね。

 

このことを腑に落ちるまで、長くかかりました。子どもは分からない、いや、他者は分からない。そういう立場に立って、なんとか理解しようとしていく。それが大事だと思います。

自分のメガネで子どもを捉えていてはいけない。あるがままを、喜ぼう。

 

今、生きている、この不思議に手を合わす。こうやって出会えたこと。今、あなたが生きていること。それだけで、ありがとうだ。