寺子屋 大仙寺の日々是好日

三重県伊賀にあるお寺。大仙寺の寺子屋ブログです。探究型の寺子屋です。HP → https://www.iga-daisenji.org/

子どもとの関わり方を学ぶ

「学校でね、こんなことがあったんだよ。」ぽつりぽつり話してくれた子がいます。最後まで、話を聞き切ることを大切にしました。すると、笑顔になって遊びにいきました。

 

この子にいったい何が起こったのでしょうか?

 

先日、教員時代の後輩から、夜に電話がかかってきました。内容は、高学年の子ども達との人間関係で悩んでいるようでした。

 

若い教員にとって、高学年の子どもとの関係づくりは最初はとても難しいといわれます。

 

距離が近くなりすぎたり、遠くなりすぎたりして信頼関係が薄れてしまうことも結構あります。

 

ボク自身も、教員一年目で担任した5年生の子ども達との関係で悩んだことを覚えています。(今思えば、学級もぐちゃぐちゃでした・・・)

 

電話で話を聞いて、とりわけアドバイスみたいなことはできませんしでした。

というのは、ボクの経験や関わり方が、彼に当てはまるとは限らないと思ったからです。

 

それではなく、関わり方の基となる考え方を紹介しました。それは一冊の本です。学校カウンセラーで明治大学教授の諸富祥彦さんの本です。数多いる教育学者の中で、諸富さんはボクが信頼を置いている心理士です。彼の著作や、研修で実際に会って話を聞いていく中で、この人は信頼できる人だと思うようになりました。

 

・聴き切ること

・アイメッセージで伝える(アサーション

 

彼の豊富な臨床経験から導き出されている関わり方です。当たり前のことと思うのですが、これが案外難しいのです。

 

子どもと話していると、こうしたらいいのにとかアドバイスすることが思い浮かんでしまったりします。これは、話すことを考えているので、聞いているようで聞いていないのです。

 

娘の話を聞いているようで聞いていないこと多々あります(涙)反省です。妻の話を聞いていなくて、よく叱られます。(涙)

 

アイメッセージもなかなか難しい。例えば、鉄棒ができた子に、「すごいねー」って言います。これはこれでもちろんいいのですが、アイメッセージにすると「すごいね。練習しっかりしてたもんね。頑張っていて先生は嬉しいな。」となります。

 

同じように見えますが、アイメッセージは、褒めるだけでなく、努力した過程を認めています。こうなると、褒められるから頑張るではなく、努力するよさ、やり切る良さを実感していくと多くの研究から分かっているようです。

 

聴き切ることも、アイメッセージも、子どもの目線になって考えていることがベースです。なんとか、目の前の問題を解決したいと思う後輩に伝えたいと思ったのは、子どもの目線になった解決策を考えることと、具体的な関わり方の引き出しを学んで増やして欲しいということでした。

 

教育に関わっていると、もちろんたくさんの子どもに出会いますし、ケースにも出会います。その一つ一つが、その子だけのものです。正直、いつも試行錯誤です。良くない関わり方をしてしまうことだってあります。子どもとの関わり方に正解はありません。

 

でも、日本にも世界にも教育に関する知識や方法の蓄積があります。どのように関わり、共に考えていくのか。ボク自身も学び続けていかないといけないと思った後輩の相談でした。

 

最後に、諸富祥彦さんの本を紹介しておきます。諸富さんは教師・カウンセラー向けの専門書から、子育てに関する一般書まで幅広く書かれています。読みやすい本を紹介しておきます。子どもとの関わりのヒントがたくさんあります。

「とりあえず、5年」の生き方

「とりあえず、5年」の生き方

  • 作者:諸富祥彦
  • 発売日: 2010/11/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

子育ての教科書 ―0歳から大人になるまで親がすべきこと―

子育ての教科書 ―0歳から大人になるまで親がすべきこと―

  • 作者:諸富祥彦
  • 発売日: 2015/03/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

タイトルは一見、how to本に見えますが、できるだけ多くの人に読んで欲しいというところからこのようなタイトルなのだと思います。平易な文章ですが、それを支える理論、臨床経験ともにしっかりしているので、安心して読むことができると思います。

 

一つの参考までに

大人の背中 vol.6 〜横浜国大 石田喜美さんと〜

中学生の寺子屋では、子ども達の世界の可能性をどんどん広がることを期待して、ユニークな大人の方をゲストに学ぶ日があります。

 それが、大人の背中です。

 

今回は、研究仲間でもある横浜国大の石田喜美さんに来ていただきました。喜美さんには、現職時代も授業を見に来ていただいたり、喜美さんところの学生さんを、うちの学校で受け入れたりと楽しくさせてもらっています。

 

学会で発表したこともありました。これも面白かったなぁ。

kimilab.hateblo.jp

喜美さんには寺子屋サポーターもお願いしていて、いろんなアイデアをいただいています。とにかく、面白い人です。

 

今回は、中学生と国語のワークショップです。

 

まず最初に、変顔マッチをしました。ダイソーに売っているそうです。

 

これは、カードに表情が書いてあって、その表情を親以外の人がして、親が当てるというゲームです。うちのみんなの良いところは、こういうのをめっちゃ楽しめるところです。この日もめっちゃ楽しんでいる姿がありました。

 

国語の授業で、何で変顔??子ども達も、びっくりです。

 

外国籍の子も学校にはいる。言葉だけの授業じゃ分からない。伊賀の子ども達は、日常的に外国籍の子が多く、そのことをよく実感しています。

 

言葉だけじゃないコミュニケーションのあり方を考えるきっかけになったワークでした。

 

続いては、たほいやゲームです。

 

これは、辞書に載っている言葉の意味を、それっぽく書いていってクイズにするゲームです。

 

例えば、「こい」という言葉

 

一つだけ辞書の意味で、他は子どもが考えた意味でした。どれが本物か分かりますか?

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子どもたちが自然と言葉の意味を吟味していました。その子のこれまでの経験、知識、感性が表れるなぁと思いました。

 

異性と同性という言葉をLGBTの観点から、問いを作っている子もいます。

 

ボクはこのゲームを通して、言葉を吟味する姿を見て、大人も子どもも学習者としては、全く同じ立場だと思いました。教える、教えられる関係を超えた学びがそこにありました。

 

みんなにとって初めての大学の授業でした。楽しくも一つ一つに意図があり、アカデミックな要素もある喜美さんの授業が最初の出会いで嬉しかったなぁ。

 

大人の背中 vol.5 〜フンコロさんとコピーライティング〜

今回の大人の背中のゲストは、坂口健一郎さん。ボクはフンコロさんと呼んでいる。

 

何を隠そう、彼はコピーライターだ。Wikipediaによると、コピーライターとは、広告の文案を作成する人という意味だそうだ。

ja.m.wikipedia.org

 

まさに、彼は広告やCMを作ってきたクリエーターだ。

 

彼との出会いは、昨年度、通っていた青山学院大学ワークショップデザイナー育成コースだった。ボクとは20歳ぐらい歳が離れている大先輩だけど、同じ釜の飯を食い、共に学んだ。

wsd.si.aoyama.ac.jp

 

尊敬している友人の1人だ。

 

「大切なことは、相手の立場に立って考えること。」

 

リエーターのイメージというと、自己表現をするイメージだったので、この言葉にはびっくりした。確かに、言葉というのは伝わらなければその役目を果たせない。

 

事前に、ある商品をお題にコピーライティングの課題が出ていた。これには、みんな大苦戦。言葉を創る、相手に伝わるように工夫する。言うは易し、行うは難しなんだよなぁ。

 

言語化する力が求められる時代において、大切な気づきを得たと思う。

 

実際にフンコロさんに話をみんなで聞いた時に、子ども達が驚いていたのは、広告の作り方だ。1人ではなく、多くのスタッフやキャストで作られていること。チームで作られていることだ。僕らが見ているCMや広告には、多くの人の知恵が集まっているのだ。

 

フンコロさんが、あるコピーを見て広告業界に入ろうと決めたように、何がきっかけで子ども達が、自分が没頭できることを見つけられるかは分からない。

 

大人ができることは、そういった気づきが生まれる場を作っていくことなんだと思う。

 

このことは、ボクの信頼している心理士の諸富祥彦さんの著書にも書かれていた。このような場を今後も大事にしていきたい。

 

主役はいつも自分。でも、気づきが生まれやすい環境は周りの人たちが整えてあげることができる。

 

寺子屋はそんな場でもありたいと思う。

あなたの子どもを通わせたいですか?

教員時代も、寺子屋時代もいつも大事にしてきた言葉です。

 

「あなたの子どもを通わせたいですか?」

 

自分の子どもも、この寺子屋に通わせたい。これを思えるということは、場が安心・安全で学びがあるということだと思っています。

 

中学生の寺子屋は、まさに。大人も自分も通いたいって思います。それは、ボクが素晴らしいとかではなく、人間として成長できる場であるからです。

 

寺子屋中学校では、「大人の背中」という時間が月一回あります。

 

iga-daisenji.hatenablog.com

 これは、自分自身に素直に生き、社会で活躍する大人の方をゲストに、ワークショップを行うものです。生き方に触れることで、中学生にとっても自分の今や未来を考えるきっかけになっています。

 

明日はCMプランナーの方が来てくれます。

 

こうやって、「大人の背中」の取り組みに賛同してくれて参加してくれる方々がいること。感謝です。

 

寺子屋中学生の、もう一つの大きな特徴は、自己調整学習です。一人一人、勉強の進み具合も理解も異なります。まずは、自分の現在地を知り、何をすればよいのかを一緒に相談しながら進めています。

 

この自己調整学習は、受験や試験だけでなく、これから生きていくのに必ず役に立つ技術です。これをしっかり身に付けることを大事にしています。

 

言うは易し、行うは難しで、なかなか難しいのも事実ですが、だからこそ一生モノになります。

 

高校受験が一つの目標になりますが、学校の勉強を中心に、学び残しがないように繰り返しやっていけば十分です。もちろん、今の現在地を正しく判断するアドバイスは必要です。

 

これは、友人の教育学者の方や、塾の方に聞いても同じ回答でした。何より、今年、高校受験に挑む寺子屋の中3の子を見ていて、確信しています。

 

たくさんの問題集をするのではなく、学校のものを繰り返し行うことが大事でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 


寺子屋で大切にしていること

「楽しかったよ。」はじめて寺子屋に参加してくれた子が言ってくれた言葉です。素直に嬉しいです。それは、寺子屋という場は、ここにいる子ども達が作っているから、みんなを大切に感じてくれた証だと思うからです。

 

精神科医の田中茂樹さんが『子どもを信じること』にこんなことを書いています。(ちなみに、この本はめっちゃおすすめです。)

 

 まず好きになること。新しい友だちと出会うこと、知らないところに行くこと、食事をすること、お風呂に入ること、そんなこと全てを、まず好きになるという目標で子どもを育てる。このことだけを目標にするだけでも良いと思います。「まず好きになる」という育児の目標は、「生きることを好きになる」ということにつながります。生きることを好きになることができれば、子どもが大人になってからも、本人の命を守る支えとなるでしょう。

 

 「楽しかったよ。」という言葉は、だからとても嬉しいのです。それも、みんなでそういう場を作れていることが嬉しいです。

 

今は、「オリジナル競技で寺リンピック」というプロジェクトに入っています。いくつかのチームに分かれ、企画しています。今週は、チーム作り、お互いのことを知り合い、話し合う良さを感じるような活動をしました。

 

 「一緒にやろうよ。」「ルールわからないんだね。説明してあげるね。」子ども達の会話に耳を傾けると、相手を受け入れようということが分かります。最初はドキドキして表情が良くなかった低学年の子が、いつの間にか笑っています。一人一人の力、よりよく育とうとする力は感動します。育つのは子ども。この子達と関われたこと、本当に幸せです。

 

子どもを信じることとは、「悪いことはしないだろう」とか「親が悲しむことはしないだろう」という意味ではないです。どんなに親の望まないことをしたとしても、私は自分の子どもたちを「愛するに値する存在だ」と信じ続けるということです。

 

ふとした時に立ち止まり、この田中茂樹さんの一節を、いつも思い出します。すぐ忘れちゃいがちになるからです。言うは易し、行うは難しだと日々反省します。

 

ここに集った子ども達を、信じ続けること。そんなことを、子ども達と過ごしながら考えていました。一人一人を大切に思っていること。しっかり伝えていこうと思います。

 

寺子屋は今を楽しむ場所。そして、幸せになるために学ぶ場所だよ。」そう伝えながら、実感できる体験を作って行けたら最高です。 

 

中学寺子屋で大人の背中vol.4を開催しました。

中学生の寺子屋では、子ども達の世界の可能性をどんどん広がることを期待して、ユニークな大人の方をゲストに学ぶ日があります。

 

それが、大人の背中です。

 

今回は、ボクです。

 

恥ずかしいのですが、青年海外協力隊の話をさせてもらいました。ちょうど、寺子屋の日に近くの高校で講演をしたので、その内容を子ども達と共有しました。

 

ボクがフィリピンに行ってたのは、もう10年以上も前のこと

 

社会はどんどん変わっているし、どんどん良くなっている。だから、10年前のフィリピンが今のフィリピンではないの言わずもがな。

 

でも、ボクがフィリピンで経験し学んだことは今の人生を支えている。そんなことを話しました。

 

フィリピンでの2年間は苦難の連続でした。

 

島中の人に嫌われた最初の数ヶ月。島の先生を上から目線で指導して反感を買いまくりました。

 

そんな時に、ある島の男の先生に言われた言葉

 

「俺たちの文化をもっと大事にしてくれ!」

 

それからというもの、必死で島の言葉を学び、同じものを食べ、同じものを飲み、同じように笑い、いつの間にか、島の住民と同じようになっていました。

 

そこでやっと、島の人たちに受け入れられ、現状も知ることができました。

 

先生達と一緒に、サマースクールしたり、休日の学校をしたり、いろんな活動をしました。それは、自分が受け入れられたからできたこと。支援する、支援されるの関係ではなく、共に生きるということです。

 

ボクがこの経験で学んだこと

 

共に笑い共に遊ぶからこそ仲良くなるということ。

 

チャレンジすれば成長があるということ。

 

自分で考え動くということ。

 

経験から何を学ぶのかを大事にしてほしい。そう思っています。

 

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読む力を伸ばすということ

今月の寺子屋のプロジェクトは、「読む」ことに関心を寄せていきます。そこで、読むことについて理論的に学び直しました。寺子屋サポーターでもある首藤久義さんの「ことばがひろがる」の理論部分を読みアイデアが湧いてきました。読む力とはいったいどういうものなのでしょうか?首藤さんを手がかりに、この記事では考えていきたいと思います。

 

読むことは、大きく分けて二つに分かれます。

 

一つ目は、情報を得ること。二つ目は、楽しむことです。このことを、首藤さんは次のように書いています。

 

「読むことは仕事や遊びや学習の生活に必要な情報を得るために役立ったり、心を楽しませること。」

 

ボク自身のことを話すと、小さい頃たくさん本を読んだわけではないですが、高校生ぐらいから、かなりの読書量を積むようになりました。楽しむのが目的の場合もあれば、新しい知識を得るために読むこともあります。楽しみながら情報を得ることだってあります。読むことが、自分の成長につながり、生活を豊かにしてくれた実感があります。それはなぜでしょうか?

 

それはズバリ、読むことは、その人の知識や経験など全てを総動員する必要があるからです。自分の力を全て使って読むから、自分の成長につながるのです。

 

読むと、まず文字を手がかりに脳の中に内容を再現します、そして内容を理解しようとします。内容を理解する時、今までの自分の生活経験と結びつけたり、いろんな考えが自動的に湧いてきます。考える力が自然とつくのです。それが、多読することが書くことも上手にするし、考える力をつけるといわれる所以です。

 

でも、読むことを強制的にされてもなかなか効果は上がりません。例えば、料理の本を読むのは、美味しいご飯を作りたいという目的があるから読むわけです。目的がないところに学びは成立しません。これはキルパトリックという教育学者が繰り返し言っていることです。このキルパトリックさんはボクのお気に入りです。

 

寺子屋でも目的をもった読む学びを展開していきたいと思います。これまでの小学校教員時代も、この読む授業には強いこだわりをもっていました。

bozusen.hatenadiary.jp

子ども一人一人が違うように、子どもの読む経験や力は異なります。その子に即した読みの経験が必要なのです。つい、ボクたちは推薦図書のように、みんなに一律に何かを読ませようとしてしまいますが、それだけでは読む力は伸びません。

 

まずは、本に慣れ親しむことです。最初は読めなかった本が2回目はスラスラ読めるといったように、成長を実感できるようにしていくことが大切です。どの本を手に取るかは、その子自身が決めることですが、自由にさせると、その子には難しすぎるものを選ぶかもしれません。そこには介入が必要です。そうやって選書の力をつけていくといいなって思います。

 

寺子屋の一月のプロジェクト「読む」でも、目的のある学びを計画していきます。目的は共有しつつ、同時に一人一人に即した多様な学びがあること。そのことを大事にしていきます。

ことばがひろがる Ⅰ

ことばがひろがる Ⅰ