手を合わすということ
あけましておめでとうございます。
今朝は修正会でした。修正会はお寺の初詣のようなものです。8:00から檀家さんや近所の方、10:00からは寺子屋の子達です。
こうやって奇跡のような出会いで集ったみんなで、新年を祝えることは幸せです。生きているこの不思議に感謝する。コロナも含め自分たちの思い通りにはいかないことがたくさんあります。そして、不安になったりイライラしたり。
でも、思い通りにいかないことがボクらの日々を彩ってくれているともいえます。今年、どんな出会いがあるのか、どんなことがあるのか、一つも予定されたものはありません。そして、その出会いが僕たちを照らしてくれることも事実です。
手を合わすということは、こうやってつながりの中で生きていることに感謝すること。ありがとうを表すことだと思っています。
何も手を合わす形が大事なわけじゃない。心の中でそっと、ありがとうって呟くことだって、手を合わすということなんだと思います。
大仙寺の寺子屋には原型があります。これは、ばあちゃんがしていた日曜学校や習字教室です。ばあちゃんはいつも言っていました。
「一人ひとりの心の中に仏さんがいるんや。だからな、どんな子であっても素晴らしいんだよ。」
僕たちは一人ひとり、たくさんの宝物に毎日触れています。友達と笑い合うこと、素敵な本に出会うこと、悔しいこと、悲しいこと、もう全部です。どんな出来事も感情も、あなたが今ここにいるから、素晴らしいから生まれる。
ここに今いること。それだけで、もう花丸です。
生まれることが自分で選べないように、死んでいくことも自分では選べない。でも、この地球に生まれたこと、ここにいることの証は縁となってずっと生き続ける。
明日はばあちゃんの墓を掃除しようと思います。ばあちゃんは、亡くなる時だって、心の中でそっと手を合わせていたと思うのです。