僧侶として生きるということ。
僕が、僧侶を生きると決めたのが3年前。
どんな自分であっても、一人ぼっちにならないことに気づいたからだ。
僕のいのちも、あなたのいのちも、結局はつながっている。僕が欠けても世界は成り立たないし、あなたが欠けても世界は成り立たない。そんな世界を僕たちは生きている。
そして、僕たちの今はいずれ終わり、また宇宙の一部となっていく。
仏教(僕の場合は親鸞の教え)のシンプルな教えだと思う。
仏は、いのちのふるさと。
だから、僕の中にも、あなたの中にも、仏はいる。
でも、雲が太陽を隠すように、そこにあるのに、見えていないのは僕たちの心模様のせいだ。
僕は、寺子屋でも、JICAでも、SNSでの友人の近況報告でも、仏に触れることがたくさんある。
今、ここで、いのちを輝かせている人がいる。
南無阿弥陀仏。それは、いのちの呼び声。
別に、南無阿弥陀仏という言葉でなくてもいい。
今この瞬間、我が子を抱きしめる妻が、「可愛いね」と子どもにかけている言葉。これも、また南無阿弥陀仏なんだよな。
どんなに世界が曇って見えても、やっぱり、世界は輝いていて光が満ち満ちている。
今日も、みんなを思って、自分を思って、手を合わせる。