大人の背中〜ラッパー僧侶 古溪光大〜
寺子屋の先生になれた
すっかり寺子屋の先生も板についてきた。
真人君と呼ばれることにも。
基本的に、教員時代と授業スタイルも関わり方も変わらない。
ただ、今の自分の方が良い授業をしている自覚がある。子ども理解がより進んでいる。
腕が上がったわけじゃない。
なぜだろう。
それは、明確な理由があるのだ。
評価だ。学校における評価と、寺子屋の評価は違う。
学校だと評価規準たる、成績つけるための規準を設け、子どもの学びに向かう。それだと、見えなくなるものがたくさんあるのだ。
さぼる、諦める、不貞腐れる、マイナスに映る行動は、学校では評価を落とす。
しかし、ネガティブな行動は、飛躍には必ず必要なのだ。今は、それがよくわかる。
ルーブリックもCan doも百害あって一利なしだ。
一教師が判断する見方考え方で、子どもは評価できない。
人の学びや生活を評価できるほど、私たち教師は偉くも賢くもない。その自覚を忘れてはいけない。
評価は自然と、自分でするもの。
寄り道、道草がない人生なんてやだな。
子どものことを知ろうとすること
「子どものことはよく分からない。」
いつも心に置いていることです。
あの子は、こうでああでってつい思ってしまうのが、僕ら教師の癖。
「そんなに簡単にわかられてたまるか。」
そんな子どもの声が聞こえてくる気がしている。大人が子どものことを分かるというのは傲慢だ。心の中なんて僕たちには見えない。
だからこそ、分からないからこそ、よく観る、いや、ぼーっと観ることが大事だと思っている。
その観察から、こう感じているのかなと予測をして、自分も即興的に関わっていく。即興は見たこと聞いたことへのリアクションだ。
その時に、相手を変えようとして関わるとだいたい痛い目に合う。だから、即興はあくまで即興、自分のモットーが即興に現れる。
モットーを作るのは、自分の経験則だ。経験則を豊かにするには、価値観の違う場に飛び込むしかない。僕は人の関わりが苦手な方だったから、本や映画から多くを学んだ。
今は頑張って違う価値観の人の輪に入っていくことを意識している。結構、面白い。自分が更新されていくのが分かる。
同時にやっぱり疲れる。自分のメンテナンス、人と関わらない時間もほしいと感じる。
今日は三重大学の学生が、卒業研究の一環で来てくれた。世代も違うみなさんから、また僕は経験知をいただいた。
大学生と子ども達は歳が近い。流行りだって理解できている。心の距離が近い。子どもには若い大人が必要だと感じる。
一方で中堅どころの僕たち世代は、ただ実践を重ね、実践の場を開いていくことが大事だと感じた。若い世代にどんどん開放していかないと。
場を開放し、いろんな人が関わるようになると価値観も変化し、僕のモットーも少しずつ変化していく。子どもの見え方も、少しずつ変わっていくだろう。
「あなたのことは分からない。だから、あなたを知ろうと思う。」
毎日、恋愛しているんだなって思う。
敬愛する石田喜美さんのブログに載せてもらっている、ある学会での子どもとの即興的な関わりについての論考。
今なお変わっていないな。
全国大学国語教育学会ラウンドテーブル「国語教育における即興的パフォーマンスとしての学習 」 - kimilab journal
尊敬する新聞記者は、あの人
昨年の今日だった。
細々と始めた寺子屋を追ってくれていた記者さんがいた。
インスタグラムにDMが来たんだった。
それからは、子ども達に相談。
「寺子屋に取材が来るんだけど、どうする?」
ここは僕だけの場所ではないから。そう、ここは僕たちの場所。
案の定、子ども達はのりのり。僕だってのりのりだ。
この記事は、僕を取り上げてくれたんだけど、地域版には子ども達をたっぷり取り上げた記事が掲載された。
あれから一年が経った。
子ども達は成長しているし、彼ら自身も成長を実感していることだろう。
寺子屋だって気づけば70人が通い、成長している。
じゃあ、僕はどうか?
JICAに勤務が始まったり、地域紙のライターになったりと、環境は確かに変わった。
でも、自分が成長しているかどうかは怪しい。
寺子屋にしても、次の夢を描いているのに動こうともしない。現状維持に埋没している自分。
次の夢は、「子ども達が作る子ども食堂」
大人が支援することもいいと思う。否定していない。
だけど、僕は自分達の場は自分達で作る方に魅力を感じる。
でも、一歩が踏み出せない。
地域を巻き込んだ子ども食堂となると、自分一人でやりきれないことが明確だから。だって、いくら子どもが主体といっても、その環境を整えることは大人の役目だからだ。
数週間前には、地域商社を立ち上げた先輩に、昨夜は地域でたこ焼きを焼く先輩に話した。
二人ともしっかり聞いてくれた。そして、面白がってくれる。
世界は僕が思っている以上に優しいのかもしれない。
仲間づくりが苦手な自分。
殻を破るのは今かもしれないと思った。
頼る先を増やす。
「人の心は他者に守ってもらうもの。」
この言葉が僕を後押ししてくれている・・・気がする。