寺子屋 大仙寺の日々是好日

三重県伊賀にあるお寺。大仙寺の寺子屋ブログです。探究型の寺子屋です。HP → https://www.iga-daisenji.org/

読むことが好きになる教え方

子ども達の学びを豊かにし、考える力をつけるには「読む」こと「書く」ことが大切だなーって思います。それって結構昔から言われていることかもしれません。だからといって、これを読みなさい、これを書きなさいって言われ続けては、好きになることは難しいものです。

 

なぜなら、育つのは子ども自身だからです。自ら学ぶようになっていくことが大事です。「読む」こと「書く」ことが徹底的に好きになっていく学び方があります。

 

 「リーディングワークショップ」「ライティングワークショップ」とよばれる学習方法です。日本では、大正時代から続く「綴り方教育」が近いです。ボクは、この学び方に出会って目から鱗でした。国語の授業が劇的に変わり、子ども達が「書く」「読む」をどんどん好きになっていく姿にびっくりしました。

 

今回は、この「リーディングワークショップ」の読むことについて、実践をもとに考えたいと思います。以下、2年前の5年生での教室のことです。

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さてさて、読書家の時間っていう本が好きになって、面白い読み方ができる学習を始めました。

 

今日は事前に伝えてあったように家や図書室からオススメ本をもってきて紹介し合いました。

 

先生、何冊ももってきていいですか?

先生、いっぱいありすぎて選べません。とか話す子もいれば、

 

あんま読まないから、特にない。

漫画しか読まないよ、なんて子だっています。

 

それがいいんです。だから、一緒に学ぶ意味があります。

 

今日は、ペアをどんどん変えながら、1分ずつ紹介し合いました。

 

たどたどしくても、なんとか伝えようとしています。相手も聞こうとしています。

 

僕はこの本紹介の子どものやりとりがすごくいいなって思いました。

 

その1シーン

 

たくさんもってきたから一冊選んでもらっていい?

 

これにするよ。

 

これね。紹介するね。

 

その本紹介を真剣に聴いてる相手の男の子の姿。ステキやなぁって思います。

 自分が好きなものを相手に受け止めてもらえる経験ってすごい嬉しいから。

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本を紹介したあとは、みんなで好きに読む時間にしました。

 

僕も子どもに借りたのを読みました。

 

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

世界から猫が消えたなら (小学館文庫)

 

 

 子どもたちを観察していると、ペアで読む子もいれば、一人の子もいれば、本の世界に入れない子もいます。

 

本っていうものがクラスにやってきた、それでまぁ最初は良しです。

 

今日は子どもたちと図書室の本を教室に持ち込んで、図書コーナーを作ろうと思います。

 

読書の授業ですが、本を読んでいる時の悩みや良かったことを読書会議っていう形で毎回授業の最初にやっていきます。クラス会議と同じです。

 

bozusen.hatenadiary.jp

 

学校は、友達の喜びとか悩みとかを真剣に受け止めて、答えていく場所だと思うからです。

 

一時間の流れはこんな感じです。

 

1 読書会議 10分ぐらい

2 読みタイム 30分

3 振り返り 5分

 

明日はどんな読書会議になるのかなぁ。何をみんなで話したいのか、そこからかなぁ。

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これはリーディングワークショップの1時間目の授業です。まずは本に触れることからスタートします。どうやって本を選ぶのかなど、みんなで話し合いながら自分に合った本を選び読んでいくのです。

 

えっそれだけ!!

 

そうなんです。それが基本です。でも、ここにはいくつもの本を読むことに取り組むためのしかけがあります。最も基本的な工夫は、子どもが好きなことや興味があることを、大人が把握していくことが大事です。そして、たくさんの児童書を読んでおくことは必須です。

 

こういう本もあるよって紹介するには基礎知識は不可欠だからです。子どもは自分で選んで読んでいる実感をもちつつ、サポートする大人は一歩先を行くイメージです。

 

その子の読書レベルに最初は合わせることも大切です。子どもがパラパラめくって読めそうと思うものを手に取るといいですね。

 

 

 

 

大人の背中

昔は分からなかったこと。今は身にしみて分かること。

 

そんなことがあります。

 

僕らは生まれてからずっと誰かとのかかわりの中で生きていて、時にはそれが鬱陶しくなったり、時には激しくそれをもとめたり、平穏に過ごしたり、、

 

何かを学ぼうと思って学ぶこともあります。学ぼうって思っていなくても、心が惹かれていくこともあります。その時はこのやろーって思っても、後で納得できることもあります。

 

誰かの背中。

 

いつの間にか、僕らの中にどんどん溜まっています。

ボクの友人は、自分の子どもの前で全力の姿を見せています。だから、子ども達はその熱を感じる。何が大切なことを学んでいる。おとなの背中という本をまた読んでみました。

おとなの背中 (単行本)

おとなの背中 (単行本)

 

 大好きな鷲田清一さんのエッセイ集です。

 

僕は、ちょっとした時に何度も手に取ります。

 

  子どもたちの毎日も、苦しいこともあれば楽しいこともある。その全体を「崩壊」「危機」といったおどろおどろしい言葉で包み込んでしまうこと、そういう声にみながいっしょに乗ることに、わたしには少なからぬ抵抗がある。

  が、他方で、教育についての議論は、話が軽すぎる。「生きる力」とか「体験学習」だとか「食育」だとか、かんたんに言いすぎる。「環境にやさしく」「地球にやさしく」「共感と共生」「ちょボラ」などという、子どもだってすぐにその「偽善」を見抜くような軽いキャッチコピーが、教育の現場に持ち込まれすぎる。

 

今回はここを何度も読み返しました。問われているのは大人の誠実な姿。

生きることは、ずるいことも、さぼることも、がんばることも、逃げることも、助け合うことも、いろんなものを包含している。正しいことばかりを綺麗に言葉で伝えるのではなく、生き様を語り、見せ、一緒の時間を過ごすという誠実な姿が大事なんじゃないかと思う。

 

それは、互いの信頼やつながりを生む。

 

人間関係は技術じゃないということを忘れずに。それを分かった上での技術なんだと思った。

 

もっと自分の生活のこと、最近読んだ本のこと、友達のこと、いろんな話を子ども達にしていいんだと思う。

子どもの一歩先を行く

全てを教えることなんて僕にはできない

 

僕が思っていることです。逆立ちもできないし、側転だってうまくできません。失敗だっていっぱいするし、豆はあまり好きじゃないし、アンパンマンのキャラクターも全部言えません。

 

僕にはできないことがいっぱいあるんです。

 

「先生なのにできないの?」

 

小さい子は聞いてきたりします。

 

「うん。先生にもできないこといっぱいあるよ。どうやってやるか教えてくれる?」

 

「いいよ〜」

 

二年生の子に一輪車の乗り方をわかりやすくレクチャーしてもらったけど、まったく前に進めません・・・おそるべし一輪車

 

自分にできないことは得意な子に教えてもらえばいい。そんなことを伝えたいから、積極的に子どもに聞いています。身近にいる先生が、そういうスタンスを大事にしているのをみせるとそれが広がっていきます。でも、丸投げはいけません。子どもは全て任せられていると感じていても、先生は子どもの一歩先を進んでいくことが大事です。そうすることで、さりげなくサポートできます。

 

教員時代に、図工でクレヨンを重ねて塗りながら絵を書いた時のことです。

 

クレヨンの達人の子がいました。その子に、みんなに技術指導をしてもらいました。そうすると、みんなもその子も生き生きしてくるし、

 

僕には一切アドバイスを求めず、その子に聞くようになりました。僕は相手にされていまでんでした・・・

 

それでいいって思っています。そうすることで、一人一人の得意なことが学級に浸透していきます。子ども達同士の方が、お互いの得意なことをよく知っています。それも、子どもに聞くとよく分かります。得意なことを、子どもにアンケートをとるのも素敵です。そして、その子がみんなの先生になるようにアプローチするのです。

 

 

先生だけが知識や技能をもっていて、子どもがその知識を授かる時代ではもうないでしょう。

 

だから、僕が意識していることは、自分が知っていることは、子どもに質問の形で聞かないということです。

 

例えば、「平清盛がやったことは何?」といった類の質問です。こんなことは自分で調べたらわかりますし、こうやって質問しちゃうと答え探しになります。

 

もっというと、この問いは、相手がそれを知っているかどうかを験すような質問です。

 

鷲田清一さんがこんなことを言っています。

 

問いとは本来、自分の知らないことを相手に聞くことだ。

 

おとなの背中 (単行本)

おとなの背中 (単行本)

 

 

だから、僕もできるだけ自分も知らないことを子どもに問いとして聞きたいです。

例えば、「平清盛が人生の中で大事にしていたことってなんだろうね?」

 

こういう問いだと、僕も一緒に探究できる。そう思っています。

 

大人も子どもも学ぶ、そんな毎日をつくりたいなって思います。めだかの学校ですね。

 

大人ができることってそんなに多くないです。子どもたちに「いいね」って笑顔で伝えること。それだけで子どもは育つって思っています。子どもが安心、安全に過ごせる環境を整える。そんなことに集中しています。

 

日々是好日

 

あなたの中にあるお寺

浄土真宗 高田派 大仙寺

伊賀市上野三之西町3241 

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子どもの得意を生かすと、苦手なことも夢中になれる

学校現場は仲間の先生に任せて、ボクは、学校以外の場所で子どもの学びの場を作りたい。

 

そう思っています。でも、学びってなんでしょうか?

 

かけ算ができること、漢字が書けること。それも学びの一部でしょう。でも、それだけではありません。現在では、子どもの学力を8つに分けて考えるマルティプルインテリジェンスの考えが主流になっています。これは、ハワード・ガードナーという学者が提唱し、一気に世界中に広がった考えです。こんな風に整理されています。

 

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読み、書き、そろばんと言われた時代とは変わってきています。その子にはどんな強みがあるのかを、本人が自覚することが大切です。

 

これはできないことは、そのままでいいということではありません。例えば、書くことが苦手だけど、野菜を育てるのが大好きな子がいるとします。この子に、漢字ドリルを与えひたすらやらせてもあまり効果はありません。

では、どうするのか?

「野菜の育て方の説明書を作ろう」といったプロジェクトにしてあげることが重要です。この子は野菜を育てるのが好きです。そのことを、他の人に伝えるという目的をもてば、書きたいという思いが湧いてきます。

でも、書き始めると、漢字が書けなかったり、分かりにくかったり、壁にぶつかります。そこで、支援する大人の関わりが大切です。何が書けないか、分からないかを明確にしながら、教えるべきことは教えて、サポートします。

 

この時に全て教えてはいけません。この子がちょっと頑張ったらできるところに目標を設定してあげるのです。そうやって出来た説明書は、大人からするとツッコミどころがあるでしょう。でも、やりきったことを認め、この子の書いたものを一つの作品として丁寧に扱います。子どもを子ども扱いしない。そうしないと、プロジェクトがごっこ遊びになってしまいます。

そのように関わると、少し自信がつくのです。そうやって、その子の得意なことと苦手なことを組み合わせながら、両方の能力をあげていくことが重要でしょう。

 

こういったプロジェクトの学習をプロジェクト学習といいます。ボク自身、教員時代、大切にしていた学び方です。今ではPBL(プロジェクトベースドラーニング)と呼ばれていたりもします。歳の離れた友人である、千葉大学の首藤久義さんから多くを学びました。

楽しい国語5 作って演じて楽しい国語

楽しい国語5 作って演じて楽しい国語

 

 例えば、書くことに関するプロジェクトはこんなことをやってきました。

 

作家の時間 →作家になりきって本を制作する学習

音楽雑誌  →自分の好きな音楽を雑誌のように解説する

レシピ本  →家庭科で作ったレシピ集

 

寺子屋でも、子どもが書きたいと思う気持ちをスタートにした、書くプロジェクトもやっていきたいと思います!

 

そしてまた人生は続く。

 

あなたの中にあるお寺

浄土真宗 高田派 大仙寺

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お寺で遊ぼうを大仙寺で実施しました R2.6.21

6月21日(日)にお寺で遊ぼうを実施しました。

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参加してくれた子どもは8名。お寺ののんびりした空間に子どもたちの明るい声が響く。そんな時間になりました。

 

こんなプログラムでした。

①対話型 読み聞かせ

②アイスブレイク(キャッチ)

③クイズラリー

 

まずは本堂で、自己紹介をして、読み聞かせをしました。今回の絵本は娘のリクエストでツペラツペラさんにしました。

ぼうし とったら (PETIT POOKA) 0~3歳児向け 絵本

ぼうし とったら (PETIT POOKA) 0~3歳児向け 絵本

  • 作者:tupera tupera
  • 発売日: 2012/07/03
  • メディア: 単行本
 

 めくりながら、次どうなると思う?と聞きながら、対話的に読んでみました。これは、本を読むことが好きになる最も大切なことです。読書家の時間という教員時代の実践がベースです。

 

「坊主!!」

「たこ!!」なんて予想しながら楽しみました。たこの足から推測するという閃きまで!素晴らしい!

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みんなで笑えるものを読むことで一体感も生まれます。楽しいが一番!

 

その後は、輪になってキャッチというアイスブレイクをしました。これも楽しい!簡単なルールで間違っても楽しいというのが大事だなって思います。キャッツでニャーもなんだかほのぼのでした。

 

その後は妻にバトンタッチです。妻も小学校の教員なので、安心です。優しい。クイズラリーの説明をしました。クイズラリーのチェックポイントは全部で5つ。

1つはクイズ。2つは間違い探し。他に、境内でボウリングチャレンジ、廊下で親子ぞうきん競争をしました。ほとんど妻のアイデアです。

 

遊びながらお寺を満喫してほしいというねらいと、親子でできることを大事にしてみました。親が一緒に遊ぶ、親が全力を出すって、子どもは嬉しいモノです。これは、横浜で子どもが通っていた園(りんごの木)の園長先生である柴田愛子さんがよく話されていました。大人の背中で子どもは育つ。

ボウリングでいきなりほとんど倒す強者がでたり、ぞうきん競争で勝つまで続ける母がいたり。本気で遊ぶ親っていいなぁと、見習おうと思いました。

 

 最後に、答え合わせしてお菓子を食べて終了です。みんなでお菓子食べながらの時間幸せを感じました。地元の友人たちがこうやって集まってくれて、子どもと一緒に過ごせて、こんなありがたいことはありません。忙しい時間の中、集まってくれたこと、これもまた嬉しいです。うちの子どもたちも大喜びでした。それもまた嬉しい。

 

「パパ、次はいつするの?」

 

毎月、ゆるーくやっていこうと思います。誰でも参加できるオープンな場にしていこうと思っています。次回は、7月18日(土)の9:00からです!!

 

子ども達とこんなことをやってみたいって思う方も大募集です。

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そしてまた人生は続く。

 

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コロナがボクに気付かせてくれたこと

「コロナで、学校がなかなか始まらなくて、やる気はあるんだけど、なんか変な感じがする。」

 

こんな話を檀家さんとしていました。そうなんだなぁと思う。このことを受けとった上で、ボクが感じたこと、気付かされたことを書いてみようと思う。

 

まさか、世界にこんなパンデミックが起きて、たくさんの人が亡くなり、日常がこんなに混乱するとは誰も思っていなかった。ボクもこの4月から新しい生活をスタートしていたので、予定していたこと、希望していたことはことごとく無くなった。仕方がないことだと思いつつも、感情の浮き沈みが激しかった。イライラしたり、テンションが高くなったり、いろいろだ。ラッキーだったのは、仏教が身近にあったことだ。

 

こうやっていうと、なんだか怪しい感じがするんだけど、そうではなくて、仏教の教えは極めて現実を直視させるものなのだ。

 

無常という仏教の教え。ボクの中の親鸞さんはこんな風に言っている。

 

「すべてのことは変わり続ける。ただそれだけ。そこに、あーだこーだ思うのは、あなたの煩悩でしょう。でもね、それでいい。煩悩まみれの私たちなんだからさ。まず、それを受けとろうよ。未来を思いすぎると、かなわなかった時辛くなるでしょう。だから、ほどほどにしたらええ。思いどおりになると思うから、しんどくなるんだよ。ボクたちの命だって思いどおりにはならないものなんだから。今できることを生きたらええんちゃうか?

とはいえ、なかなかそんなんできへんもんやけどね。まぁ、一緒にやっていこうや。」

 

なぜ関西弁なんかは、ボクの頭の中で話す人が関西人だからだろう。

 

思いどおりにならないもの。でも、やっぱり急に日常が変わると動揺してしまうもの。それでいい。

 

だから、動揺した自分を認めてあげよう。動揺している身近な人を認めてあげたらいい。それは、ただ聴くということ。

 

その上で、長い人生があるとするなら、このコロナでの変化を体験したことはきっと、あなたを成長させる。だから、強がらなくていい。今感じていることを大切に。

迷いや疑問が教えてくれること

問題解決するために、僕たちは生きているわけではないんだなぁ

これは問題を解決することを否定しているわけではない。

迷いや、疑問や、壁があれば理解しようとするし、乗り越えようとするもの。そうやって成長していくのもまた事実。

でも、迷いや疑問や問題が、自分に何を教えてくれているのかを考えてみたいのだ。

例えば、ボクは今、すべての子どもたちが夢中になって学べる寺子屋を考えている。どうやって進めていこうかと迷っている。

解決のスタンスだと、マーケティングだとか考える必要がある。一方で、この迷いがボクに与えてくれるメッセージは何か?

なぜ、寺子屋をボクがやりたいのか?そのことを考えてみなよと言われている気がするのだ。そうすると、幼少期の記憶や教員としての記憶などがほりおこされていく。自分の内面に深く入っていく。

そうやって自分を理解していく機会でもあるのだ。

問題を解決して、目標を向かうだけが人生ではない。それも大事だけど、「今、ここ」を忘れちゃ、情熱や存在がおざなりにされるとおもうのだ。

昨日、歳の離れた先輩であり友人でもある方と話して気付いたこと。

 

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