寺子屋 大仙寺の日々是好日

三重県伊賀にあるお寺。大仙寺の寺子屋ブログです。探究型の寺子屋です。HP → https://www.iga-daisenji.org/

勉強の仕方〜寺子屋中学部で大切にしていること〜

テストや受験勉強にはコツがあります。

 

そのコツを掴むことが、成績を上げる近道です。

 

思春期にもなると、この勉強何の役に立つのだろうかと疑問をもつことがあります。

 

疑問をもつことは悪いことではありません。しかし、その問いに囚われてしまうと勉強に向き合いにくくなります。勉強が好きであろうが嫌いであろうが、進学する時には必ず試験があるわけです。勉強はその試験をパスするための手段の一つです。

 

大きな疑問に囚われすぎず、まずは目の前のテストの点数を上げることを目標にするのが良いと思います。

 

では、どうやったら成績が上がるのでしょうか?

 

少し難しい話ですが、人間の記憶について考えてみましょう。

 

記憶には、長期記憶と短期記憶と呼ばれるものがあります。短期記憶とは、すぐに忘れてしまう記憶の仕方。長期記憶とは、記憶をしたことを長く保持することができる記憶の仕方のことです。

 

youtu.be

 

テストや受験で使うのは長期記憶の方ですね。人間の脳は物事を忘れてしまうようにできています。忘却曲線といいます。これは時間が経ったら忘れるということを示しています。当たり前ですね。

ja.wikipedia.org

ではどうしたらよいのでしょうか?

 

ずばり、反復することです。えーーー、結局それかよっと思ったみなさん。そうなんです。結局、それなんです。じゃあ、どうやって勉強するのが成績が上がりやすいのでしょう。

 

学校のワークを繰り返すこと。それにつきます。同じ問題を何度もすることで、長期記憶に変わっていきます。実は応用力も自然と身に付きます。学校のワークが完璧になったら、他の問題集などに取り組むのもいいでしょう。そこまでできたら、めちゃくちゃ成績は上がっています。

 

なかなか成績が上がらない人にありがちなのは、たくさんの問題集や塾に行っていることです。理由は、いろんな課題をやりすぎて、反復できず長期記憶になりにくいからです。

 

まずは学校のワークを繰り返し完璧にすること。さらに上を目指したい時に、違う問題集などに取り組むのが良いでしょう。

 

とはいっても、なかなか一人ではできないもの。だから共に学ぶ仲間が大事なんです。一緒に刺激し合いながら、それぞれの目標に向かっていく。

 

人が成長するための条件として、共に学び合う仲間がいることが挙げられています。

 

寺子屋中学部で大切にしていることです。

 

 

 

 

機嫌よくいれば、だいたいのことはうまくいく

聖心会シスターである鈴木秀子さんの著書に、あまりに感動してしまった。

心に留めておくために、気に入った文章を抜き出しておこうと思う。

 

一つだけ言いたいこと。

 

キリスト教も仏教も、自分を徹底的に見つめることが始まりだということ。腑に落ちた。

 

「思う通りにいかないからこそ、そこに輝き出るものがある。普段、見えないものが、病気になったときには見えてくる。人のありがたさが、自分が何もできなくなったときに身に沁みる。何かを失ったときに、その尊さが見えてくるということがある。」

「今日一日幸せでした、ありがとうございます。明日も一日幸せです。ありがとうございます。」

「命とは与えられるもの。自分の命は自分では作り出せません。」

「嫌な出来事があると、ついつい人のせいにしたり時代のせいにしたりしがちですが、そうではなくて、悪い出来事も自分を清めるため、心を高めるために起きている。感謝して受け入れることで新しい道がひらかれていく。」

「人はどんな理屈を言っても変われるものではありません。頭では分かっていても芯から変わるのは、ほんとうの意味で自分で実感したときです。自分のなかからこうしたいという思いが湧き出てこない限り、人は変わり得ないのです。このように人間のなかには深い知恵があるのですが、なかなか自分の力ではその知恵に達することができない。誰かが寄り添ってあげないといけない。私はそのときがくるまでじっと待つことにしています。」

「この方々が人間として成長して苦しみが少なくなりますように、ご本人はもちろん、周りの方も幸せに包まれて生きていけますようにと日々祈っています。」

「この苦しみは何か意味があって与えられているのかもしれません。」

「この辛さを乗り越えることで、生きがいにつながる何かが見つけられたら。」

「苦しみを乗り越える第一歩は、自分のなかに湧き出る感情をただ認めることです。自分を責めたり解釈するのではなく、起こった出来事とあなたの想いをそのまま受け入れて下さい。日記や手紙など文字にすると感情が整理しやすいでしょう。あるがままの自分の感情を受け入れることから始めると、心はしだいに静かになっていきます。」

「苦しみには必ず意味があります。あなたには、その苦しみを乗り越える底力があります。そしてあなたのことを思い、守ってくれる味方が必ずどこかに存在しています。私たちはそもそも完璧ではない。弱いところはあるけれど、ダメではない。ちゃんと立ち直る力はもっているのです。」

「最期を迎える母に、お母さんありがとう、私たちはお母さんが残してくれた家族親戚と仲良くしていきます。だから、もう大丈夫、安心してね。」

「亡くなった人が望むのは、愛する人やその周りの人々が生き生きと自分らしく生きていくことです。」

「安心して逝ってくださいね。私たちもみんな仲良く、幸せに生きていきますから。」

「こんなに泣ける私って素敵。」

「幸せな人生をくれた夫のためにも、自分の命は人を喜ばせることに使いたい。」

「亡くなった方はどんなふうにあなたを守り、愛してくれましたか?具体的に考えてみましょう。」

「遺影をながめていると、どんな姿を思い出すでしょうか?」

「書き出してみると、その人に代わって優しい笑顔を見せてくれる人があなたの周りにいることに気がつきませんか?」

「それは亡くなった方が残してくれていったもの。あなたにご縁のある人たちを通して、あなたへの思いを伝えているのです。存在はなくなっても、どこかに生き続けている愛情の形」

「私に限らず、多くの日本人が人間を超える大きな力を知っています。大変なことがあったらどうかお願いしますと手を合わせます。」

「亡くなった人の勤めは縁のあった人を見守り、力を贈ることだといいます。亡くなった人が願うのは、縁のあった人たちが笑顔で機嫌よく暮らすことだけ。」

「供養というのは、亡くなった方から教わったことや支えてもらったことを糧にして、いまを一生懸命生きること。」

愛する人が亡くなったという現実は変えることができないなら、受け入れましょう。そして、今日から亡くなった方が喜んでくれるように、大事に生きるのが一番です。」

 

本の紹介 お坊さんの100冊

本の紹介「お坊さんの100冊」

モノの見方を変えてくれるのは、いつも本でした。面白かった本、役に立った本、自分を見つめ直させてくれる本、いろいろです。そんな本を、ぼちぼち紹介していきます。

 

No.13

・ワークショップ作りを学ぶ入門書・

ワークショップとは、参加者の創造性を最大限に発揮できる場づくりのこと。プログラムの作り方から、参加者とどのように関わるかまで幅広く記載されている一冊。ワークショップに興味がある人にはぜひ手に取ってもらいたい。

No.12

・子どもと一緒に成長する学級づくりの決定版・

先生が引っ張るのではなく、一緒に歩む学級作りを学べる一冊。ボクはすでにこの本は5冊目です。理由は人にあげたり、読みすぎてボロボロになったりしたからです。それほど、素晴らしい一冊。人生が変わった本だなぁ。

 

No.11

・子どもと子どもをつなぐアクティビティのバイブル・

子どもと子どもをつなぐアクティビティのバイブル!身体を動かすものから、課題解決して力を養うものまで、バラエティに富んだアクティビティが紹介されている。写真付きでとても分かりやすい。なぜこのアクティビティをするのかもよく分かる。子どもに関わる仕事の方には必須の一冊。

 

No.10

・あなたは独りでないことを教えてくれる一冊・

全ての人がいつか亡くなる。その時に、何を思うのか。そして、側にいる人ができることは何か。亡くなる前に訪れる、「なかよしタイム」。あなたがいてくれて良かった。私たちはしっかり生きていくから。愛をしっかり伝えること。いつ死が訪れるか分からない。死生観を鍛えておくことは、今を生きることにつながる。そう感じる。

 

No.9

・自分も地球の一部だと教えてくれた一冊・

都会の暮らしを離れ、農的な生き方を実践する加藤さんの記録。家を建てる、農業をする、経験の無いことを探究心と仲間との協働で乗り越えている姿がかっこいい!!「情熱を傾けられる仕事しかしない!」「お金のために自分の時間を売るような仕事はしたくない。」心に刺さる。

No.8

・祈りの時間をくれた一冊・

カトリックシスターと、臨済宗僧侶のエッセイ集。祈りは、独りよがりに生きてしまうボクを立ち止まらせる。毎朝、自分の幸せ、あの人の幸せ、生きとし生けるものへの幸せを祈る。こんな何気ない日常に感謝の祈りも捧げる。広い世界で、自分のことを祈ってくれている人がいる有り難さ。僕たちのいのちは深いところでつながっていると感じる。いのちは、自分では作り出せない。自分を超えた計らいの中で、今、できることを精一杯すること。幸せへの近道だ。

 

No.7

・生きる力が湧いてくる一冊・

聖心会シスターの鈴木秀子さんの生きるヒントが散りばめられた一冊。鈴木秀子さんを知ったのは傾聴について学んでいる時のことだった。彼女のあるがままを生きる姿に感銘を受ける。キリスト教も仏教も、根本的には自分自身をじっくり見つめるという点では同じなんだと感じる。あまりにも素敵な本なので、気になった言葉を備忘録として記しておこう。

 

iga-daisenji.hatenablog.com

No.6

・子どもに仏教を伝えるときに役に立つ1冊・

身近に仏教はあっても、なかなか分からないのが仏教。僧侶と子どもたちのやりとりで学ぶ仏教入門書の一冊。著者の釈先生は、日本を代表する仏教学者の一人。ボク自身も知らないことばかりだった。状態が変わるときには、宗教儀礼をしてきた日本人。例えば、七五三、結婚式、お通夜、葬儀などがあげられる。非日常の場では、全員が同じ方向を向くことが大事だというのはなるほどと思った。葬儀であれば、喪に服す服装にし、亡くなった人を悲しみ、その人の生きた人生に想いを馳せる。宗教儀礼ネアンデルタール人の時代から続く、人間が人間たる行いの一つだ。目に見えないものを信じる心。今の時代に必要なことではないだろうか。

No.5

・ボクの師匠の、育つのは子ども教育論・

子どもは自ら学ぶから育つ。やりたい、やってみたいがある目的のある活動があれば、子どもは学び出す。教える、教え込むという教育とは一線を画す教育論。寺子屋で大事にしていることそのもの。子どもは目的のある活動を前にすると、達成したいがために、調べ、試行し、修正していく。それこそが学びの営み。今流行りのPBLの元である、キルパトリックのプロジェクト学習がベース。プロジェクト学習に取り組みたい教育者は必読!

 

 

No.4 

・アナログなプレゼン方法であえて勝負・

これまた日本を代表するファシリテーターの川嶋直さんの一冊。川嶋さんは世界的な環境会議なども企画運営する会議やプレゼンのスペシャリスト。そんなすごい人なのに、お会いするとものすごく謙虚で温和な方。そんな川嶋さんらしいプレゼン方法。その名もKP法(紙芝居プレゼンテーション)A4の紙に伝えたいことを短く書き、順番にそれを見せていくことでプレゼンにしていく。デジタル全盛期と対局したアナログなやり方。しかしながら、紙には短いパワーワードしか書けないから、おのずとプレゼンがシンプルで分かりやすくなる。オンラインでも使える素晴らしい方法だ。

 

No.3

・オンラインで子どもを笑顔にする遊びが満載・

日本を代表するファシリテーターの青木将幸さんの一冊。オンラインワーク授業などで、参加者が思わず笑顔になってしまうアクティビティが多数紹介されている。徹底してオンライン授業を分析した青木さんならではのアクティビティの数々。実際にオンライン寺子屋でも、この本のアクティビティをたくさんしました。笑顔になるから関係性がよくなり、学びが促進されますね。アクティビティのやり方だけでなく、どのように説明するかなども分かり、オンラインで悩む人にはぜひ手に取ってほしい一冊。

 

No.2

・複数の言語が組み合わさるルーツ探しの物語・

少女が流れ着いた島は、女性が歴史を握る不思議な島だった。流れ着いた少女と、島の少女の交流と成長の物語。この小説で考えさせられたことは、祈るということの意味。祈りの先には何もないことを知る彼女たちは、それでも祈り続ける。なぜ祈るのか?他言語、異文化理解、同性愛など、いろんな切り口で読むことのできる一冊。台湾出身の作者の美しい日本語も素晴らしい。

 

No.1

・感謝の気持ちをもつことを学んだ一冊・

名将 野村克也さんの、選手との向き合い方が書かれている一冊。「世のため人のために、一生懸命になるんだ、それが結果的には全部自分に返ってくるんだ。」この言葉、ついつい忘れがちになる。目立ちたい、かっこよく見られたいって思ってしまうけど、我慢する、考え抜くという下積みがなければ、結局、かっこよくない。野村さんの言葉が、心を揺さぶります。一つ一つの縁に感謝し、こつこつ地道にやっていくこと。今の時代に足りないことかもしれません。

 

 

寺子屋オンラインのはじめかた

学区の小学校が休校のため、寺子屋もオンラインで今週は進めました。大人へのオンラインワークショップや授業の経験はあるものの、小学生は初めてです。

 

こんな時は、友達に頼ろうということで、あおせんにレクチャーしてもらいました。

ao-labo.com

彼は自分たちの学校で、オンライン授業をたくさん経験しています。頼りになります。

 

彼からのレクチャーを受けて、オンラインの特徴を掴んだ上で、プログラムを作れば対面と大きく変わらないということに気づきました。

 

オンラインの特徴とは、反応が分かりにくいこと、身体の動きが少なくなることだと思います。

 

それらを踏まえて、はじめての寺子屋オンラインを実施しました。

 

「オンラインも結構面白いね。」とか、「友達のこんなことが知れたよ。」とか、「みんなで集中できた。」とかそんな感想をもってもらえたらいいなって思いながら、授業を考えました。

 

そんな授業のことを書いておきます。オンラインに取り組む先生や友人の助けに少しでもなればと思います。

 

まず、参考にした本はこれです。青木将幸さんのアイスブレイク本です。日本を代表するファシリテーターの一人ですね。

この本、永久保存版です。というのはアクティビティだけでなく、インストラクション(説明)が秀逸で、著者のマーキーさんがどんな場を作ろうとしているか息遣いまで分かります。しかも語り口が優しい。大好きです。

 

ではでは、寺子屋オンラインのはじまりはじまり。

 

ZOOMを使いました。初めて使う方もいらっしゃったので、事前に接続確認の日を設けて確認しました。パスコードを打ち込まなくても入れるように設定しました。できるだけ作業を少なくすることで、難しいという印象がなくなるはずです。

 

当日は、無事にみんな入室できました。

 

入ってくるところから、オンライン授業は始まっていると思います。

 

「○○さんいらっしゃい!お昼食べた?」とか、一人一人に声をかけます。すると一気に温かい空気になります。ボクも嬉しい気持ちになります。

 

オンラインだからこそ、会話量を増やしていくことが大事だと思います。

 

その後は、みんなで挨拶です。せーので声を出すと面白いです。日本語だけでなくいろんな言葉でやりました。マイクのオン・オフの練習にもなります。

 

そして、チェックイン。

 

「今日のお昼ご飯は?」「今の気持ちは?」というお題でお喋りしました。うなずいたり、リアクションとったり、質問したりする子どもの姿を褒めて価値づけしました。

 

「うなずいてくれるっていいね。嬉しいよね。大切にしていこうね。」

 

大切なことは、子ども達の姿から語ることです。

 

そして、宝物紹介をしました。自分の家にある宝物を探してきて、見せ合いっこです。ゲームの子もいれば、ぬいぐるみの子もいます。一気に場が和らぎます。

 

家でオンラインをしているので、友達の家に遊びに行った感じになりますね。

 

次に○✖️クイズです。リアクションの練習にもなりますし、クイズは子ども達大好きです。動物クイズをしました。ネットにたくさんネタが転がっています!

 

クイズの次は、お絵かきです。テーマはボクの顔。二分間で書いてもらいました。ふざける子がいるので、「絶対変に書いてるんでしょう。嫌な予感するなぁ」とか言って盛り上げました。そうすることで、絵が苦手な子もハードル低く取り組むことができます。

 

せーのでみんなで見せ合い、たくさん笑いました。

 

ここまでがアイスブレイクです。めっちゃ長い気がしますか?

 

ボクはアイスブレイクをたっぷりすることをお勧めします。理由は、オンラインにポジティブな気持ちがもてるし、オンラインでも子ども同士の関係性を深めることができるからです。

 

子どもは心地のいい関係性の中で育ちます。オンラインだからといって、一方的なやりとりになってしまうと学びに勢いが出ないとボクは考えます。何より楽しくなくなってしまう。楽しいがあるから、頑張れます。

 

だから、最初のアイスブレイクめちゃくちゃ大事です。少々、時間かかってもいいです。

 

ここからは、勉強の時間です。オンラインの難しさは、子どもの手元が見えないことです。だからいつものようにはいきません。少し工夫をしました。

 

漢字ドリルから、自分が間違いやすい漢字や、書いてみたい漢字を一つ選びます。それを1分間で、できるだけ多く書くように伝えました。

 

子ども達は目的がはっきりしているので、一気に書き始めます。

 

「鉛筆から煙が出そうだね。」「○○さんの集中した顔が素晴らしいね。」とか、子どもの姿を観察し、言葉をかけます。

 

ここが肝です。オンラインでも、みんながつながっている、先生は見てくれていると感じられるからです。

 

それを何回か繰り返し、集中して学ぶことを体験します。もちろん、漢字をたくさん書くことの学習効果もあります。

 

そこから20分、自立学習の時間です。いつも寺子屋でしているので、子ども達は勝手が分かっていますね。とはいえ、オンラインだと手元が見えないので、学習を把握するのが難しいです。

 

そこで、最初に何をするかを一人ずつ話してもらいました。そうすることで、こちらもイメージをもてます。

 

さっきの漢字学習の集中力を持続して取り組めていました。とはいえ、学習のフォローをどのようにするかは検討が必要です。

 

もちろん、全員が同じプリントをするとかにすると、答え合わせも一緒にできるし良さそうに見えますが、それだと一人一人に必要なことができなくなりますし、異年齢の集団だとできることが限られます。

 

むしろ、学びの個別最適化が文科省からも通達されているように、それぞれの学習を進めるのが学力をあげる近道です。

 

解決策としては、デジタル教材の使用が考えられると思いました。

info.eboard.jp

NPO法人eboardの教材は無料で使えますし、とても良問です。ボクも問題制作に関わらせてもらいました。次回はこれを使おうと思います。

 

勉強のあとは、休憩をいれます。

 

「おやつ持ってきてみんなで食べよう。」

 

これはみんな嬉しいですし、何より笑顔になります。ワイワイと盛り上がります。

 

オンラインでは運動不足になりがちなので、その場で走ってもらって、蛇と言われたらジャンプ、木と言われたらしゃがむなどをしました。

 

これもっと開発の余地があって、ボクの画面をジャングルみたいにしたり、ジャングルの動画にしたりしてもよいかもしれませんね。

 

その後は、借り物競争をしました。家の中からお題にあったものを探してくる遊びです。

 

「丸いもの!」

 

一斉に探しにいきます。こうやって動きをつけてあげることで、身体もリラックスできます。

 

最後は、今日の感想を言って写真撮影で終わりです。

 

盛りだくさんの活動でしたが、同じ活動が長くなるとオンラインだと集中が途切れがちになります。テンポよく活動を進めるのが良いのではないかと思いました。

 

寺子屋アートプロジェクト

小さい頃から絵が苦手でした。近くのお城に写生大会に行って、お城を観ずに、絵が得意な友達の絵を写していたことを覚えています。

 

うまい、下手って何をするにしても生まれます。スポーツであろうが、歌であろうが、なんでも。

 

理由は、人と比べてしまうから、比べられてしまうからです。本来、身体を動かすことも、絵を描くことも楽しいことなはずです。

 

ボクは大人になってから、アーティストの友人ができました。彼女が主催するワークショップにも参加しました。ボクが知っている図工の時間ではありませんでした。

 

誰とも比べることも比べられることもなく、自分の感性を開放していく時間。とても楽しかったことを覚えています。

 

アートは、自分のものの見方を変化させること。アーティストの友人に教えてもらったことです。

 

「りんごを描きましょう」と言われると、赤いりんごを描く人が多いかもしれません。でも、別に青りんごでも、りんごを食べているところでもいいわけです。

 

赤いりんごという固定概念を崩していくこと。それがアートなのだと思います。

 

そう考えると、上手だとか下手だとかに囚われずに思いっきりチャレンジしても良いと思うのです。

 

技術的な指導であれば、寺子屋ですることはできませんが、アート思考を探究することはできます。だって、寺子屋大仙寺は探究学習の場だからです。

 

そんなこんなで始まったアートプロジェクト。

 

「りんごを描こう」

「麺や大仙寺 新作メニュー作り」

 

この二つに取り組んでいきます。これは尊敬する図工教師である、奈良女子大学附属小学校の服部先生の実践を元に少しアレンジさせていただきました。

 

 

駄菓子屋だいせんじゃー!!子どもと一緒に縁日を作ったよ。

6月26日(土)に寺子屋の子ども達と、縁日をしました。

 

その名も、駄菓子屋だいせんじゃーです。

 

企画、仕入れ、広報、設営、販売、会計まで全部子どもとやりました。

 

仕入れが一番盛り上がり、つまみ食いも横行しましたwww

 

こうやって、一つ一つみんなで役割分担してやってできたことが素晴らしい体験です。

 

体験から子どもは学ぶ。

 

そのことを切に感じる時間になりました。

一緒にやろう 〜一緒につくる、育ちの場〜

6月5日(土)に開催された青年海外協力隊OB会のイベントでお話をさせていただく機会をいただきました。

 

いただいたお題は、アジアの教育事情でした。

 

とはいえ、僕はもう帰国して10年以上も経っているので、協力隊で学んだ事、生かしている事を話すことにしました。

 

「一緒にやろう 〜一緒につくる、育ちの場〜」がボクの発表のタイトルです。

 

自分を振り返る良い時間になりました。自分の原点を忘れないように文字に残しておこうと思います。

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今から皆さんに、「一緒にやろう」というテーマでお話をさせていただきます。これは、ぼくを今に導いてくれた、ばあちゃんの言葉です。

 

ここで皆さんと出会えたのも、世界がつながっているからです。そして、こうしてつながってしまったからです。皆さんと、仲間になれたらいいなって思います。

 

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堤真人と言います。

 

ボクは、今、三重県の山間のまち、伊賀というところで、お坊さんをしながら

、生まれて初めて小さな学校、寺子屋を運営しています。

 

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寺子屋には、小学校1年生から中学3年生までの子どもたち40名ぐらいが来ています。ここでは、どんな子どもも自分らしくいれることを大事にしています。

 

子どもは一人一人、学び方も違えば、学ぶペースも、興味・関心も違います。

 

違って当たり前です。でも、集団の中では違うことが大事にされないことだってあります。

 

ボクは、一人一人がユニークであることを大事にしたいし、されたいって思っています。

苦手なことは、教え合えばいいって思っています。

 

でも、バラバラにはなりたくないから、みんなで一緒にすることも大切にしています。みんなで駄菓子屋さんをしたり、本を作ったり、そんなことをしています。

 

ぼちぼちと充実した日々です。

 

でも、最初からこんなことを考えていたわけでも、していたわけでもありません。そんな話をしたいと思います。

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ボクは38年前に伊賀に生まれました。

 

伊賀のお寺でした。ボクはじいちゃんやばあちゃんや檀家さんに可愛がられて、伸び伸びと育ちました。野球が大好きな少年で、気づけば毎日野球をする野球少年になっていました。

 

少年野球団にどっぷり浸かり、夢はプロ野球

 

そんな少年時代でした。でも、6年生ぐらいから雲行きが怪しくなりました。母が教育ママと化したのです。ぼくの野球の日々は無機質な塾の日々に変わりました。家に帰っても、いつも勉強ばかりです。

 

「いい学校に入るのよ。いい大学に行くのよ。」

 

大事な野球の試合にも行かせてもらえず、ただただ偏差値を上げるために勉強をしていました。お正月だって塾の合宿です。

 

そして、その甲斐もあって進学校と呼ばれる中学に合格しました。喜んでいたのは母だけでした。ボクはやっと終わるという気持ちだけでした。

 

そんな気持ちで入った学校です。当然レベルについていけず、成績も悪いし、気力もありません。その怒りはいつしか親にぶつけられるようになりました。

 

そうしないと自分を保てなかったのでしょう。たくさん反抗しました。

 

ボクはどんどん自信をなくし、どんどん嫌なやつになっていきました。父は大阪の勤務先に朝早く出て、夜遅く帰ってくる生活でなかなか話す機会もありませんでした。

 

でも、ボクには心の支えになってくれる人がいました。

 

それは昔からの伊賀の友人と、ばあちゃんです。

f:id:iga-daisenji:20210612090134j:plainばあちゃんは、いつも味方になってくれました。いつも励ましてくれました。ばあちゃんはお坊さんだったけど、生花教室や習字教室、子供会とかいろんなことをしているパワフルな人でした。スリランカで幼稚園を建てる活動もしていました。そんなばあちゃんがよく言ってた言葉があります。

 

「たくさん遊びなさい」

 

「一人でやるんじゃないよ、一緒にやるんだよ。」

 

何度もこの言葉を使っていました。それは、仲間と共に歩んでいるばあちゃんだから出てくる言葉だったんでしょう。

 

ボクはそんなことも知らず、この言葉だけを覚え実践するようになっていました。

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高校も大学も、遊びがいつも優先でした。だって、ばあちゃんの教えだからです。でも、流石に遊び疲れ、「このままでいいんだろうか」

 

そんな不安を持つようになりました。大学生の頃だったと思います。

 

そんな時にテレビ画面に映ったのが、9.11のテロの映像です。

ja.wikipedia.org

 

ボクは、この映画のような光景にびっくりしてしまいました。いったい世界で何が起きているんだろう。この時初めてボクは、学びたいという気持ちに出会った気がします。

 

受験勉強が学びだと思っていました。でも、受験勉強は合格と同時に全て抜けてしまっていました。

 

この光景の背景なんて全然分かりませんでした。

 

勉強ってなんでしょうか?受験を勝ち抜くためだけのものでしょうか?全然違います。勉強は物事を深く捉えるために自ら学ぶことです。僕は初めて、学ぶことに向き合いました。

 

そんな時に出会った本があります。辻信一さんが書かれた『スローイズビューテュフル』です。大学の本屋さんでした。

ここには、貧困や環境問題の原因は先進国で暮らすボクたちの生活に大きな原因があると書かれていました。

 

例えば、地球温暖化が進んだのは何故でしょうか?私たちの暮らしとは無関係でしょうか?世界には豊富な食料があるのに、平等に分けられていないのは何故でしょうか?

 

原因を知っていくうちに、ボクは苦しくなりました。自分たちだけ、こんなに恵まれていていいのかって。今思うと、純粋だったなぁって思います。

 

当時付き合っていた彼女の誕生日に花火大会に行きました。

 

「この綺麗な花火大会の向こうには、苦しんでいる子どもたちがいるんだ。だから、ボクはこんな綺麗な花火は見れない。」

 

案の定、ふられました。それぐらい、世界の問題を考えようとしていたのでしょう。いつの間にか、問題を生きるようになっていたんですね。

 

たくさん本を読みました。大学院に行って本格的に学びました。でも、どこにも解決策も書いていませんでした。それどころか、問題は深刻になっているような気がしました。

 

そんな時に、恩師に「頭でっかちになってるよ。問題を生きるのではなく、今を生きなさい」と言われました。なるほどって思いました。汗をかこうって思いました。

 

電車に乗っていると、こんな広告がありました。

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もう迷いはありませんでした。青年海外協力隊に参加しようと即決しました。

 

すぐに協力隊の試験を受けました。

 

合格発表の1週間前にボクは友人とフィリピンにいました。食あたりをして旅行期間ずっと、ベッドの上でした。「もう二度と行きたくない」そう言って帰ってきたことを覚えています。

 

そして合格発表。派遣国には「フィリピン」と書かれていました・・・

 

こんなことがあっていいんだろうか・・・運命を感じる。そうして、2007年3月にフィリピンに旅立ちました。

 

ボクの任地は、フィリピン中部のボホール島という珊瑚礁に囲まれた美しい田舎の島でした。フィリピンのカオスなイメージとはかけ離れたのどかな島です。

 

自宅近くの海はこんな感じでした。配属先の島の教育委員会は海の上の建物で、窓を開けるとエメラルドグリーンです。

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あー綺麗

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観光名所で、手のひらサイズのお猿さんもいます。めちゃ可愛い。

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島はとても長閑でした。急な雨にもバナナの葉っぱで解消します。

 

これ、ボクがしたら全身びしょびしょになりました。

 

ボクの仕事はというと、SBTPというJICAプロジェクトに関する隊員でした。先生の授業力を向上させるのが目的の、教員研修を企画するというものです。

 

だから、ボクは小学校教諭という職種で行きましたが、学校配属ではなく、教育委員会配属でした。今は、こういうの多いのかな。

 

教育委員会配属で、教師よりも立場が上の人たちと仕事をするので、全ての先生がボクのことをSir.Tsutsumiと言いました。24歳にして、なんだか偉くなった気がしました。

 

早速、ボクは島の小学校の授業を見に行きました。

 

いいところ探しではなく、粗探しをしに言っていました。先生の黒板の使い方が悪い、教材をなぜ作らない、子どもを大事にしていないとか、そんなことばっかり記録していました。その記録をもとに、ボクは教員研修をプログラムしました。

 

面積は、こうやって教えるんだよ。こういう教材を手作りでできるよ。もっと頑張ってよって、そんなことを話していた気がします。

 

でも、この教員研修後、島の先生たちの目がとてもよそよそしくなりました。学校へ行っても教室に入れてくれないこともありました。

 

研修をしても何も変わってはいませんでした。

 

なんでもっと先生たちは頑張らないんだ。

 

ボクはイライラするようになっていました。

 

現実逃避するかのように、首都マニラに行って遊んだり、近くの島の隊員と遊んだりして、愚痴ばっかいっていました。もう赴任して半年が経っていました。

 

そんな時に島の男の先生に言われたことがあります。

 

「勝手に日本からやってきて、うちらの言葉も文化も大事にしてないのに、偉そうにすんじゃねー!!」

 

全然、島の言葉が分からなかったのに、この時だけははっきり分かった気がします。

 

頭をハンマーで殴られたような衝撃がありました。ボクが気づいていたことを言われたからです。自分が嫌われていること、なぜ嫌われているかだって実は知っていたのです。

 

ボクは支援者は、被支援者を支えるものだと思っていました。でも、それは全然違いました。

 

いつも、もちつ持たれつなんです。ボクがボホールで生活できていたのは、それを支えてくれる人がいたからです。そこに生きる子どもがいて、先生がいたからです。何もボクがすごいわけじゃない。お互いにギブしあい、テイクしあえばいいだけの話なんです。

 

ボクは誰よりも差別の意識を持っていたのかも知れません。日本の方が優れているぜって。

そんなやつを誰が受け入れてくれるでしょうか。そこからボクは変わりました。

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こんなふうにwww

 

思えば、協力隊の面接で、「任地の人とどうやって仲良くなりますか?」という質問の際に、「酒とダンスです。」と真顔で答え、ひんしゅくをかったことがありました。

 

それでも合格しました。つまり、酒とダンスが認められたんだって思って、それを実行しました。失敗したらJICAのせいですww

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本当にダンスww

 

島の言葉を話、島のモノを食べ、現地で暮らす。それをモットーにしていました。

 

そんなことをしているうちに、言葉もかなり覚え、どうもあの日本人めっちゃおもろいやつやだと噂が立つようになりました。

 

すると、学校の先生たちも変わっていくのが分かりました。心を開いてくれるようになりました。

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真人、授業をしてもらってもいい?

真人、これってどうやって教える?

真人、遊びに行こうよ。

真人、金かして。

 

すっかり現地に溶け込むことができました。帰国するまで日本人とは会わない。いつも任地にいる。全て任地。そう言い聞かせていました。

 

いつの間にか、フィリピンの人にフィリピン人と間違えられるようになっていました。

 

あれだけやりたかった活動も軌道に乗り始めました。協力してくれる人がたくさんいたからです。

 

「いろんな理由で学校に行けない子がいるから、土日に補習をしたいな。」

 

ボソッというと学校の先生が協力してくれました。

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いつの間にか、時間のある子どもたちが集まるようになりました。

 

日本の隊員とお祭りをしました。

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たくさん集まってくれました。大盛り上がりでした。

 

「真人、うちの施設を手伝ってよ。」

 

親のいないこどもたちとたくさん遊びました。

 

いつの間にか、島の先生たちは戦友になっていました。たくさん語り、たくさん笑い、たくさん喧嘩しました。

 

これって、ボクがすごいのでしょうか?

 

全然違いますね。ボクを輪に入れてくれた人達がいたから、そして、学校に通う子どもたちがいたからです。いや、その島の暮らしがあったからです。

 

ボクは、何も残せなかったし、力不足だった。でも、ボクの中から、自分がなんとかするとか、支援するという考えはなくなり、いつの間にか、支え支えられものだということを感じていました。

 

ばあちゃんが言っていた「一人でやるんじゃないよ。一緒にやるんだよ。」という言葉が、分かった気がします。おかげさまで二年間無事活動することができました。

 

2009年3月28日に帰国したボクは、4月からすぐに小学校の現場でした。5年生の担任でした。

 

慌ただしいまま、振り返ることもなく、怒涛の毎日です。

 

協力隊の2年間はボクに自信を取り戻させていました。それは過信にもなっていました。

 

同僚とぶつかることも多く、心身が乱れていきました。

 

たくさん研修会に行き学びまくっていました。もっと授業を上手くならないとって。

 

「俺はこんなに学んでいるのに、教科書だけを教えている先生なんてダメだ!」そうやって思う自分もいました。

 

そんな時にある先輩の先生に、「あなたの授業はうまいけど、いい授業じゃない。」

 

ボクははっとしました。気づいていたのです。流れるような授業で、学級も統率が取れている。でも、子どもと心で繋がっていないことを。

 

その時に思い出したのが、フィリピンの子どもたちでした。ただ、そこに集まり、みんなで一緒に授業を作っていた日々のことを。

 

ボクは、こういう笑顔が見たくて先生してんだったなって。

 

そこからは教室の風景だって変わりました。いつの間にか、誰が先生か分からないようなメダカの学校のようになっていきました。

 

子どもたちは温かく繋がり、学び合う仲間になっていました。

 

こんなことがありました。

 

ある子は、歌が大好きでした。ある子は太鼓の達人が大好きでした。二人で、ドラム&ボーカルグループを結成して、休み時間に遊んでいました。その子には、いつかコンサートを開きたいという夢がありました。みんなで相談して、開くことにしました。広報はクラスの友達がしています。

 

そうして迎えたライブ当日。一階の踊り場には200人ぐらいの観客がいます。

 

ファンだってできました。初めてのサインだってやりました。

 

二人も、それを支えたクラスの子もとってもいい顔です。

 

自分のやりたいこと、得意なことを失敗を恐れずチャレンジすることの大切さを、子どもたちに教えてもらいました。

 

育つのは子ども。子どもは自ら育っていきます。

 

これはボクがすごい教師だからでしょうか?全然違います。子ども達が育とうとしているからです。ボクが育てたわけではないのです。子どもの力です。

 

いつも主人公は当事者なんです。これは協力隊の時と同じ。こちらが何かしよう、変えようとすると、無理が生じる。

 

見ていないようで見てる大人の優しい眼差し、子どもが安心して過ごせる場があること。大人ができることはそれぐらいかも知れません。できるだけ、余計なことをしないのが良いのかもしれません。

 

教育に答えはありません。ボクが正しいわけでもないです。それぞれができることをやるしかないと思います。

 

でも、これだけは真実。

 

「育つのは子ども」であること。

 

子どもが育つということを信じることを真ん中に置きたいと思うのです。ボクは、そんなことを胸に、生まれ育った伊賀に戻りました。

 

ボクには帰ったらやりたいことがありました。それは小さな学校を作ること。

 

子ども達が自分らしく、共に学び、共に笑うそんな場所。全ての子ども達が、幸せな子ども時代を過ごせる場所。

 

かつて、ばあちゃんがやっていたような寺子屋を。

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みんなで一緒にやろうが合言葉。

 

時代が変わっても、ばあちゃんがしていたことと大して変わらない。

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そこに子ども達が集い、共に育っていく。

 

子どもは自然と育っていく。育ちやすい環境を大人が整えてあげたらいい。そう思うのです。

 

ボクの力なんてしれています。だから、こうやって出会えた人達と一緒に、子どもが育つ場を一緒に作っていきたいと思います。

 

ありがとうございました。

 

追記①

ばあちゃんの大切さに気づいたのは、亡くなった後でした。今、会いたいって思います。会えないけど、ずっと見守ってくれているそんな気がします。

 

追記②

教育ママと化した母ですが、あれからいろんな反省があったのか、大学に通い、自分がかつてしてしまったような失敗を起こさないように、女性支援のNPOで活躍しています。

 

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