機嫌よくいれば、だいたいのことはうまくいく
聖心会シスターである鈴木秀子さんの著書に、あまりに感動してしまった。
心に留めておくために、気に入った文章を抜き出しておこうと思う。
一つだけ言いたいこと。
キリスト教も仏教も、自分を徹底的に見つめることが始まりだということ。腑に落ちた。
「思う通りにいかないからこそ、そこに輝き出るものがある。普段、見えないものが、病気になったときには見えてくる。人のありがたさが、自分が何もできなくなったときに身に沁みる。何かを失ったときに、その尊さが見えてくるということがある。」
「今日一日幸せでした、ありがとうございます。明日も一日幸せです。ありがとうございます。」
「命とは与えられるもの。自分の命は自分では作り出せません。」
「嫌な出来事があると、ついつい人のせいにしたり時代のせいにしたりしがちですが、そうではなくて、悪い出来事も自分を清めるため、心を高めるために起きている。感謝して受け入れることで新しい道がひらかれていく。」
「人はどんな理屈を言っても変われるものではありません。頭では分かっていても芯から変わるのは、ほんとうの意味で自分で実感したときです。自分のなかからこうしたいという思いが湧き出てこない限り、人は変わり得ないのです。このように人間のなかには深い知恵があるのですが、なかなか自分の力ではその知恵に達することができない。誰かが寄り添ってあげないといけない。私はそのときがくるまでじっと待つことにしています。」
「この方々が人間として成長して苦しみが少なくなりますように、ご本人はもちろん、周りの方も幸せに包まれて生きていけますようにと日々祈っています。」
「この苦しみは何か意味があって与えられているのかもしれません。」
「この辛さを乗り越えることで、生きがいにつながる何かが見つけられたら。」
「苦しみを乗り越える第一歩は、自分のなかに湧き出る感情をただ認めることです。自分を責めたり解釈するのではなく、起こった出来事とあなたの想いをそのまま受け入れて下さい。日記や手紙など文字にすると感情が整理しやすいでしょう。あるがままの自分の感情を受け入れることから始めると、心はしだいに静かになっていきます。」
「苦しみには必ず意味があります。あなたには、その苦しみを乗り越える底力があります。そしてあなたのことを思い、守ってくれる味方が必ずどこかに存在しています。私たちはそもそも完璧ではない。弱いところはあるけれど、ダメではない。ちゃんと立ち直る力はもっているのです。」
「最期を迎える母に、お母さんありがとう、私たちはお母さんが残してくれた家族親戚と仲良くしていきます。だから、もう大丈夫、安心してね。」
「亡くなった人が望むのは、愛する人やその周りの人々が生き生きと自分らしく生きていくことです。」
「安心して逝ってくださいね。私たちもみんな仲良く、幸せに生きていきますから。」
「こんなに泣ける私って素敵。」
「幸せな人生をくれた夫のためにも、自分の命は人を喜ばせることに使いたい。」
「亡くなった方はどんなふうにあなたを守り、愛してくれましたか?具体的に考えてみましょう。」
「遺影をながめていると、どんな姿を思い出すでしょうか?」
「書き出してみると、その人に代わって優しい笑顔を見せてくれる人があなたの周りにいることに気がつきませんか?」
「それは亡くなった方が残してくれていったもの。あなたにご縁のある人たちを通して、あなたへの思いを伝えているのです。存在はなくなっても、どこかに生き続けている愛情の形」
「私に限らず、多くの日本人が人間を超える大きな力を知っています。大変なことがあったらどうかお願いしますと手を合わせます。」
「亡くなった人の勤めは縁のあった人を見守り、力を贈ることだといいます。亡くなった人が願うのは、縁のあった人たちが笑顔で機嫌よく暮らすことだけ。」
「供養というのは、亡くなった方から教わったことや支えてもらったことを糧にして、いまを一生懸命生きること。」
「愛する人が亡くなったという現実は変えることができないなら、受け入れましょう。そして、今日から亡くなった方が喜んでくれるように、大事に生きるのが一番です。」