先日、高田本山で説法をさせていただきました。
その時、話したことを記録しておこうと思います。
テーマは「五戒を守ることができない自分」です。
仏教徒には守るべき戒律があります。不殺生戒、不偸盗戒、不妄語戒、不飲酒戒、不邪淫戒の五つです。
生き物を殺してはいけない。他人のものを盗んではいけない。不純な交遊はしてはいけない。嘘をついてはいけない。お酒を飲んではいけない。
僕がとにかく守れないのは、お酒を飲んではいけないです。夏になると、プシュッとしたくなります。
この五戒を守ることができれば、心身ともに健康になるでしょうし、よりよく生きることができるでしょう。
五戒を守ることは善いことです。
そうとは分かっていても、プシュッとしてしまう僕は宗教的悪といえます。
とはいえ、よく考えてみると、社会で生きるのであれば五戒を守ることができる人はほとんどいないでしょう。
お釈迦様は、社会を捨て出家することで、悟りを得ることができました。
僕たちはお釈迦様ではないですから、同じようなことはできません。
宗教的悪を抱えながら生きていくしかない。整わない日々を送るしかない。
仏教における善悪は相対するものではなく、善悪一如、善悪は一つのものと考えます。
悪である自分を理解すればするほど、そんな自分であっても、一人ぼっちにならない尊さに気づきます。
ありのままの自分を見つめ、あるがままを生きようとすること、そして、それを支えていく縁に満ち溢れていることに気づく。だから力強く前に進むことができる。
阿弥陀仏に委ねるとは、僕は「どんな時も、一人ぼっちにならない」ということだと僕は信じています。
そんな、話をしました。
ものみな金色
生きとし生けるものが、幸せでありますように