子どもをみとる
教育の世界では、子どもを理解しようとすることを、「みとる」と言います。
「みとり」については、いろんな考えがありますし、手法もあります。ボクも全ての子どもについて毎日日記を書いたこともありますし、特定の子どもを追っかけて記録をとったこともあります。
寺子屋サポーターでもある、横浜国大の石田喜美先生と学会で発表したこともありました。
でも、結局は、子どものことは分からないのです。わかった気になるのがほんとに怖い。それは、あの子はこういう子だって自分の中のモノサシで判断することだからです。
でも、分からなくてもなんとか理解しようとい営み、これこそが、教育にかかわるものの仕事です。
結局、記録をとるしかないのです。寺子屋でも毎回、子どもの記録をとります。それをみながら、次はこうしようとか、振り返るわけです。これが、評価なんですよね。
このことを腑に落ちるまで、長くかかりました。子どもは分からない、いや、他者は分からない。そういう立場に立って、なんとか理解しようとしていく。それが大事だと思います。
自分のメガネで子どもを捉えていてはいけない。あるがままを、喜ぼう。
今、生きている、この不思議に手を合わす。こうやって出会えたこと。今、あなたが生きていること。それだけで、ありがとうだ。